B33 カンボジアに訪れたら絶対外せない、四大遺跡観光(アンコールワット朝日鑑賞、アンコールワット、アンコールトム、タプローム寺院、大回りコース、プノン・バケン山で夕日鑑賞 一日観光ツアー。
見学の時間:13時間
ツアーコード:B33
プライベートツアー
催行日情報:毎日催行
子供参加:可
お一人様:可
ツアー料金
・1名様の料金(120ドル)
・2名 130ドル(65ドル)
・3名 148ドル(48ドル)
・4名様以上は、40ドルずつ加算されます。
※11歳以下のお客様は無料でございます。
※なお、4名様〜8名様はワンボックスカーを用意します。
また、9名様以上はマイクロバスを用意しますので、料金の詳細はお問合せください。
※ツアー料金に含まれるもの
・専用車(エアコン付き)
・日本語ガイド
・お水(何本でも無料)
※ツアー料金に含まれない
・遺跡入場券、昼食、ドリンク
※お客様にご負担いただきます。
※入場券は3種類ございます。
・1日券 37ドル
・3日券 62ドル
・7日券 72ドル
チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。
当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
時間 スケジュール・見所
04:30 ホテルにお迎え
04:45 チケットセンター
05:00 アンコールワット朝日観光します。それからそのままアンコールワットの第1,2,3回廊を観光します。 約3時かかります。
08:00 ホテルに戻って、朝食休憩します。
09:30 ホテルにお迎え、アンコールトムの南大門、バイヨン、バプーオン、象のテラスなど観光 約2.5時間かかります。
12:00 タ・プローム寺院観光.。 約50分かかります。
13:00 昼食休憩 約1時かかります。
14:00 大回りコースのプレループ、東メボン、タ・ソム、ニャクポアン寺院、プリア・カン寺院観光 約2.5時間かかります。
16:40 プノン・バケン山夕日鑑賞
18:30 ホテルに戻ります。
アンコールワットから朝日鑑賞とても綺麗でございます。
アンコールワット
アンコールワットはお寺がある都と言う意味です。
この遺跡はカンボジア人の宝であり象徴です。カンボジアの国旗やお札にもデザインされています。
12世紀の中頃1113年~1150)(日本と言えば平安時代794年~1185年)スーリヤヴァルマン2世と言う王様に建てられたヒンドゥー教のヴィシュヌ神の遺跡です。東西1500メートルぐらい南北1300メートルぐらいです。お堀の幅は200メートルぐらい一周に囲まれています。アンコールワットの塔は五塔残っています。本殿の高さ約65メートルです。砂岩で3層なるピラミッド遺跡、三つ回路囲まれています。第1回路の壁でほとんど古代インドの神話の通りに彫刻しています。第2回廊には彫刻がなく、上座部仏教の石像はのち時代に持ち込まれた物ですが、盗難で頭を取られました。16世紀の中頃にアンチャン言う王様によって上座部仏教に改宗されました。
アンコールワット参道のながさは350メートルあります。両脇にはナーガと呼ばれるたくさん頭をもった竜神をかたちづくったらんかんが続いています。このナーガは人間の世界と神様の世界をつなぐにじの架け橋と考えられていたからだと言われています。
森本右近太夫の落書き。
この塔はアンコールワットの本殿、高さ65mぐらいです
この像はヒンドゥー教の三大神の一つヴィシュヌ神の像で、アンコールワットはこの神様を祭ったお寺です。これは8本の腕ですが一般的には4本腕であらわされています。表面に少し金箔が残っていますが、以前はすべて金箔で覆われていたと思われます。お線香、果物などがお供えしてあるように、この像は現在でも地元の人々の信仰の対象となっています。
バイヨン寺院
こちらはバイヨン寺院の正面です。バイヨンはアンコールトム(大きな町)の中央にある寺院です。12世紀末にジャヤーヴァルマン7世によって作られた大乗仏教寺院で、穏やか微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名な寺院です。バイヨンは49塔あります。37塔の四面顔、9塔の三面顔3塔の二面顔です。
バイヨンは、メール山(須弥 山) を象徴化しています。 メール 山は古代インドの宇宙観による と神々の住む聖域で、 また神が 降臨する場所でもありました。 この 宇宙観を正確に具現化すること が王の重要な使命でありました。 東 西南北に延びる幹線道路は、メール山から世界に向かう道を象 徴し、 城壁はヒマラヤの霊峰、 城壁を取り巻く環濠は大海を表 したものであります。 この宇宙観は 解釈の仕方によって微妙に変化 します。 大乗仏教に深く帰依して いたジャヤヴァルマン七世の宇 宙観ですが、アンコール・ワットで 表現された宇宙観と異なってい るのは当然のことであります。
バイヨン寺院の正面
バイヨン寺院
こちらはバイヨン寺院の正面です。バイヨンはアンコールトム(大きな町)の中央にある寺院です。12世紀末にジャヤーヴァルマン7世によって作られた大乗仏教寺院で、穏やか微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名な寺院です。バイヨンは49塔あります。37塔の四面顔、9塔の三面顔3塔の二面顔です。
バイヨンは、メール山(須弥 山) を象徴化しています。 メール 山は古代インドの宇宙観による と神々の住む聖域で、 また神が 降臨する場所でもありました。 この 宇宙観を正確に具現化すること が王の重要な使命でありました。 東 西南北に延びる幹線道路は、メール山から世界に向かう道を象 徴し、 城壁はヒマラヤの霊峰、 城壁を取り巻く環濠は大海を表 したものであります。 この宇宙観は 解釈の仕方によって微妙に変化 します。 大乗仏教に深く帰依して いたジャヤヴァルマン七世の宇 宙観ですが、アンコール・ワットで 表現された宇宙観と異なってい るのは当然のことであります。
バイヨン寺院の正面
バイヨン寺院の第1回廊のレリーフ
このレリーフは当時戦うためにクメール軍の行進の様子を表します。
髷の結った髪型、あごひげもあるのは中国人です。カンボジアにいる中国人軍のれつです。
バプーオン寺院 (隠し子という意味)
バプーオンは11世紀中頃にウダヤーディティヤヴァルマン二世によって作られたヒンドゥー教のシヴァ派です。
この遺跡は三層からなるピラミッド型寺院で、高さ50メートルぐらいです。バイヨン寺院よりもたかったと言われています。
象のテラス
象のテラスは12世紀末にジャヤヴァルマン七世によって作られました。テラスの長さは350メートル幅は12メートルぐらいです。当時には木造の建物があって、瓦葺の屋根、壁がなかったと言われています。
トゥームレイダーのロケ地↓
この木は寄生植物の仲間、中にあったガジュマルの木を絡んで死にました。締め殺しの木と言う意味です。人気な写真スポットでございます。
タプロームの西門
ここは西門で、ほかに南、北、東に同じような門がありますが、どれもひどく破損しています。
塔の上に彫られているのが観世音菩薩、つまり観音さまの顔です。顔は四面あって、東西南北を向いて、魔除けの役目をはたしています。
ここのタプローム寺院はアンコールトムを作ったジャヤヴァルマン七世によって1186年に母の供養のために建てた大乗仏教の寺院です。東西1000メートルで南北700メートルです。むかしは奉納の踊りを踊る踊り子だけ600人、お坊さんなど合わせて1万人以上住んでいたと言われています。現在では上座部仏像のお寺に改宗されています。
東門の木
巨大スポアンが回廊を踏みつけているような姿は力強さがみなぎっています。
こちらは大蛇のように見える物スポアンの根は石の間を押し広げて突き進みます。その姿は奇妙で大蛇のようにも見えます。これらの大木は樹齢三四百年だといます。
大回りコースのプレループ寺院
プレループ遺跡
プレ・ループ遺跡は961年にラージェンドラヴァルマン二世と言う王様によって建てられたヒンドゥー教の寺院です。東メボンの南約1.5kmの所にあるピラミッド様式遺跡です。東メボンと同様の造りましたが、プレループ遺跡の方が壮大です。中央伽藍と東塔門の間には死者を荼毘に付したと言う石槽が置かれ、火葬の儀式が行われていたと言われます。
造りは3層のラテライトの基壇上に5基の祠堂が並んでいる、ピラミッド式の寺院であります。正確に言えば3層目の四方に4基の祠堂が配置され、中央にはさらに段の小さな基壇があり、その上に中央祠堂が建てられています。周囲は四方に塔門のある二重の周壁に囲まれています。20棟を超える経蔵や倉庫で囲まれた伽藍の中央に12基の小祠堂、4基の副祠堂と中央祠堂が整然と配置された5塔主堂型の平面形式であります。
5基の祠堂群にはすべて、東側の開口部を除いて砂岩偽扉があります。偽扉は厳重に閉ざされた開かずの扉で、入ることを拒否しています。さらに、装飾された媚と付柱による装飾はほかの外壁面と同様で、遠目にはどこが入口なのか判断し難いです。入口の造形上の意味を消去することにより、逆に入口のある方向に意味をもたせているのであります。なぜ東向きに開口部があるのかは、太陽の昇る方向を示すなど、自然崇拝との関係などが指摘されていますが、明らかではありません。
この中央の砂岩で出来た台がこの寺院の特徴です。これは火葬のための台と言われています。伝説によれば、この台の上で死者を火葬し、その灰の上に死者をかたどった線をかく輪廻転生の儀式が行なわれたと言われています。そのため、プレ・ループ、つまり「 体を変える」と呼ばれるようになったわけです。つまりこのプレ・ループは当時、火葬場として使われた特別な寺院だったのですね。
東メボン
東バライ(貯水池)の中心部大池の中央に浮かぶように建設されたのが東メボン寺院であります(現在、水は涸れています)。この寺院は952年にラージェンドラヴァルマン二世によって建立されたシヴァ派の寺院で、9年後に同王によってプレ・ループも造られています。東バライ(東西約7km、南北約1.8km)はヤショウーヴァルマン治世時代(889年~910年)造られているので、貯水池が先造営され、その後に寺院が建築されたと考えられます。遺跡はクメール建築の三大建築材であるレンガ、砂岩、ラテライトが使い分けられ、レンガ造りの屋根や木造屋根の屋根の痕跡などが残り、それぞれの構造も変化に富んでいます。また二重の周壁で囲まれ、周壁と周壁の間には各種の付属建築物が建ち並んでいます。内側の周壁はそのままピラミッドの1段目を構成し、その上に二段の基壇を重ねています。伽藍はプレループよりも単純で、ピラミッド式による視覚的効果は小さいです。
遺跡の角に石像の象を置いています。象さんは水の象徴です。もう一つ意味は帝釈天の乗り物と言う伝説です。この遺跡の中で、この象の像は市場きれいに残っています。
タ・ソム寺院
タ・ソムと言う仏教の寺院です。この寺院は12世紀の終わりごろジャヤヴァルマン七世によって作られました。バイヨン寺院のようなピラミッド型ではなく、プリア・カンやタプローム寺院などと同じく平面型です。東西240メートル南北180メートルあり、複雑に入り組んだ回廊はなく、本殿のみでシンプルに作られています。作られた時期も様式もタプローム寺院とほとんど同じで門の上には観世音菩薩の顔が彫られています。
西塔門
西塔門と東塔門に観世音菩薩を表しています。
ニャックポアン遺跡
こちらのニャック・ポアンは12世紀の終わりごろにジャヤヴァルマン七世によって作られた大乗仏教寺院です。プリアカンの碑文によるとあちこちから来る人々が良く身を清めてもらうと書かれています。治療施設だと考えられています。
こちらに五ついけがあり、中央の池のまわりに四つ池があります。
中央の建物のまわりに、たくさんの頭を持った二匹の蛇が尻尾を絡ませているのが見えますね。これはヒンドゥーの竜神ナーガで、これがカンボジア語で ニャック・ポアン、すなわち 絡み合う蛇と言う名前の由来になっています。このように建物の砂岩の壁に4本腕の観音様の像がところどころ残っています。
入り口
プリアカン遺跡
プリアカンとは聖なる剣と言う意味です。
1191年(鎌倉時代の始まる)にアンコールトムを作ったりヤジャヴァルマン7世と言う王様によって造られた仏教の寺院です。この建物はチャンパ、今の南ベトナムにあった国と戦いに勝った記念に建てたと言われます。もう一つはチャンパの攻撃を撃退できずに亡くなった父ダラーニンドラヴァルマン二世を奉った祠堂でもあるとも言います。
当時この寺院には奉納の踊りを踊る踊り子だけ1000人、お坊さん、召し使いなどあわしせて10万人以上住んでいたと言われています。このジャヤヴァルマン七世は大乗仏教徒でしたが伝統的なヒンドゥー教の存続も願い、ふたつの宗教の融和をはかったと言われています。しかし、そのあとの宗教戦争のため、この寺院に残る仏教的なものはほとんどヒンドゥー教徒により削り落とされ、あるいは破壊されてしまったそうです。東西800メートル南北700メートルあり、作られた時期も、様式もタ・プロム寺院とほとんど同じです。
参道の両脇には砂岩で出来た灯篭のような石の柱が立っています。やはり東の参道にも同じような石の柱が立っています。かつてはお釈迦様が彫刻されています。
この壁の彫刻はガルーダです。半分が鳥、半分が人間のヴィシュヌ神の乗り物です。
プノン・バケン 山
プノン・バケン 寺院は9世紀末にヤショーヴァルマン一世によってヒンドゥー教 のシヴァ神の寺院です。
プノン・バケン山はプノン・クロム山、 プノン・ボック山ととも アンコール三聖山と呼ばれてい ます。 高さ約60mの自然の丘陵を利用した。テラス状の広場があり、 その奥に丘上ピラミッド式の遺 跡、 プノン・バケンがあります。
ヤショーヴァルマン一世が、 ヤショーダラプラの都の中心として須弥山を表し建造した寺院です。自然の地形を活かしながら6層 の基壇が積み上げられ、中央に 棟の祠堂があります。最上部を除5層には各12棟の小祠堂が 配置され、最下段の周囲には 44 棟のレンガ造りの祠堂が配され ています。 この寺院は全部で109 棟です。造形的にはインドネシ アジャワ島のボロブドゥール 遺跡と類似しています。
アンコールワット観光後はプノンバケン山での夕日楽しみ下さい。。