B52 クバールスピアン遺跡、バンテアイスレイ遺跡、大回りコース観光ツアー
見学の時間:8時間
ツアーコード:B52
プライベートツアー
催行日情報:毎日催行
子供参加:可
お一人様:可
ツアー料金
・1名様の料金(150ドル)
・2名 170ドル(85ドル)
・3名 195ドル(65ドル)
・4名様以上は、50ドルずつ加算されます。
※11歳以下のお客様は二人まで無料でございます。
※3歳以下お子様は無料です。
※なお、4名様〜8名様はワンボックスカーを用意します.。
また、9名様以上はマイクロバスを用意しますので、料金の詳細はお問合せください。
※ツアー料金に含まれるもの
・専用車(エアコン付き)
・日本語ガイド
・お水(何本でも無料)
※ツアー料金に含まれないもの
・遺跡入場チケット
※お客様にご負担いただきます。
※入場券は3種類ございます。
・1日券 37ドル
・3日券 62ドル
・7日券 72ドル
チケットをお持ちでないお客様は、ガイドにお申し付けください。
当日遺跡見学前にチケットセンターまでお連れいたします。
時間 スケジュール 見所
08:00 ホテルにお迎えて、入場券を買いに行って、クバールスピアン遺跡に出発します。約1時間かかります。
09:15 クバールスピアン遺跡を観光します。 約12時間かかります。
11:15 バンテアイスレイ遺跡を観光します。 約1時間かかります。
12:15 遺跡の近くにあるレストランで昼食します。 約50分かかります。
13:05 大回りコースのプリア・カン遺跡に出発します。 約40分かかります。
13:45 プリアカン遺跡観光 約11時間かかります。
14:45 ニャック・ポアン遺跡観光 約30分かかります。
15:15 タ・ソム遺跡観光 約40分かかります。
16:00 東メボン遺跡観光 約40分かかります。
16:40 プレループ遺跡観光します 約40分かかります。
17:20 ホテルに戻ります。
ツアーハイライト
クバールスピアン遺跡
クバールスピアンとは川の源流と言う意味ですが、もともとの名前は千体リンガの橋と言う意味がありました。
ここは11世紀中頃にウダヤーデイティヤヴァルマン二世によって開かれた場所で、約200mにわたり砂岩の川底、河岸に彫られた神々群を川の流れとともに見られるおもしろさがあります。リンガや彫像はヴィシュヌ神やシヴァ神などのヒンドゥー教の神々が彫られたもので、池も作りました。この池が川の源流としてでなく、特別な聖地と考えられていたことがわかりますこの川は聖なるガンジス川になぞらえています。つまりこの水で沐浴すれば病気が治ったり、幸せになれると言うことです。リンガを流れた水は聖なる水となります。川底に無数のリンガを作れば、よりパワーのある水になると考えられました。
この彫刻像はアーナンダ(ヘビ)横たわるヴィシュヌ神でございます。。そのへそからバスの花が生え、花の中ではブラフマー神が瞑想しています。もしバスの花が咲くと、ブラフマー神が世界を作ります。横たわっているヴィシュヌ神は世界を作るのを待っていると言う伝説です。
この彫刻はシヴァ神シンボルです。この四隅の形は女性のシンボルです。丸いものは男性のシンボルです。
バンテアイスレイ遺跡
こちらはバンテアイスレイ寺院です。967年にジャヤヴァルマン5世によって作られたヒンドゥー教寺院です。女の砦の意味をもつこの寺院は建立当時にアンコール王朝摂政役の王師ヤジュニャヴァラーハの菩提寺として建設されたと言われています。ヒンドゥー教の三大神(シヴァ神とヴィシュヌ神とブラフマー神)に捧げられた周囲が約400mの小寺院で外壁は赤色砂岩とラテライト、屋根の一部にはレンガも使用された美しい遺跡です。東門から入ると赤い絨毯が敷き詰められているかのようなラテライトの参道が延びる。
第1塔門
バンテアイスレイ遺跡はヒンドゥー教の3大神ために建てられました。3塔ありますね。
・右側の塔はブラフマー神の塔です。
・真ん中の塔はシヴァ神の塔です。
・左側はヴィシュヌ神の塔です。
優美なレリーフ[東洋のモナリザ]
バンテアイスレイ遺跡の規模は小さいですがヒンドゥー教の神話を描いた彫刻は彫りが深く、ほとんど赤色の砂岩で作られており、その造形美はアンコール遺跡の中でも群を抜いて洗練さ優美です。さらに保存状態も極めてよいです。1923年に若き日の仏作家アンドレ・マルロ(妻、友人の3人)が持ち去ろうとして逮捕され、のちにマルロー晩年の[空想美術館]を飾ったバンテアイ・スレイ北祠堂のデバター像です。
大回りコース
プリアカン遺跡
プリアカンとは聖なる剣と言う意味です。
1191年(鎌倉時代の始まる)にアンコールトムを作ったりヤジャヴァルマン7世と言う王様によって造られた仏教の寺院です。この建物はチャンパ、今の南ベトナムにあった国と戦いに勝った記念に建てたと言われます。もう一つはチャンパの攻撃を撃退できずに亡くなった父ダラーニンドラヴァルマン二世を奉った祠堂でもあるとも言います。
当時この寺院には奉納の踊りを踊る踊り子だけ1000人、お坊さん、召し使いなどあわしせて10万人以上住んでいたと言われています。このジャヤヴァルマン七世は大乗仏教徒でしたが伝統的なヒンドゥー教の存続も願い、ふたつの宗教の融和をはかったと言われています。しかし、そのあとの宗教戦争のため、この寺院に残る仏教的なものはほとんどヒンドゥー教徒により削り落とされ、あるいは破壊されてしまったそうです。東西800メートル南北700メートルあり、作られた時期も、様式もタ・プロム寺院とほとんど同じです。
参道の両脇には砂岩で出来た灯篭のような石の柱が立っています。やはり東の参道にも同じような石の柱が立っています。かつてはお釈迦様が彫刻されています。
この壁の彫刻はガルーダです。半分が鳥、半分が人間のヴィシュヌ神の乗り物です。
建つ建造物は非 常に珍しい二層構造になっています。こ こは図書館だったという説もあります。
ニャックポアン
こちらのニャック・ポアンは12世紀の終わりごろにジャヤヴァルマン七世によって作られた大乗仏教寺院です。プリアカンの碑文によるとあちこちから来る人々が良く身を清めてもらうと書かれています。治療施設だと考えられています。
こちらに五ついけがあり、中央の池のまわりに四つ池があります。
中央の建物のまわりに、たくさんの頭を持った二匹の蛇が尻尾を絡ませているのが見えますね。これはヒンドゥーの竜神ナーガで、これがカンボジア語で ニャック・ポアン、すなわち 絡み合う蛇と言う名前の由来になっています。このように建物の砂岩の壁に4本腕の観音様の像がところどころ残っています。
ニャックポアン遺跡に入る橋の長さは350メートルです。
中央の建物の周りに、たくさんの頭を持った二匹の王蛇が尻尾を絡ませているのが見えます。これはヒンドゥーの竜神(ナーガ)で、これがカンボジア語で「ニャック・ポアン」、すなわち「絡み王蛇」と言う名前の由来になっています。
タ・ソム寺院
タ・ソムと言う仏教の寺院です。この寺院は12世紀の終わりごろジャヤヴァルマン七世によって作られました。バイヨン寺院のようなピラミッド型ではなく、プリア・カンやタプローム寺院などと同じく平面型です。東西240メートル南北180メートルあり、複雑に入り組んだ回廊はなく、本殿のみでシンプルに作られています。作られた時期も様式もタプローム寺院とほとんど同じで門の上には観世音菩薩の顔が彫られています。
西塔門
西塔門と東塔門に観世音菩薩を表しています。
西門の壁にはきれいに残るデバタ ーが多いです。 これは髪の毛を絞るデバタ ーです。建立当時は耳たぶに穴を開け、 大きなイヤリングを付けるのがおしゃ れでした。
プレループ遺跡
プレ・ループ遺跡は961年にラージェンドラヴァルマン二世と言う王様によって建てられたヒンドゥー教の寺院です。東メボンの南約1.5kmの所にあるピラミッド様式遺跡です。東メボンと同様の造りましたが、プレループ遺跡の方が壮大です。中央伽藍と東塔門の間には死者を荼毘に付したと言う石槽が置かれ、火葬の儀式が行われていたと言われます。
造りは3層のラテライトの基壇上に5基の祠堂が並んでいる、ピラミッド式の寺院であります。正確に言えば3層目の四方に4基の祠堂が配置され、中央にはさらに段の小さな基壇があり、その上に中央祠堂が建てられています。周囲は四方に塔門のある二重の周壁に囲まれています。20棟を超える経蔵や倉庫で囲まれた伽藍の中央に12基の小祠堂、4基の副祠堂と中央祠堂が整然と配置された5塔主堂型の平面形式であります。
5基の祠堂群にはすべて、東側の開口部を除いて砂岩偽扉があります。偽扉は厳重に閉ざされた開かずの扉で、入ることを拒否しています。さらに、装飾された媚と付柱による装飾はほかの外壁面と同様で、遠目にはどこが入口なのか判断し難いです。入口の造形上の意味を消去することにより、逆に入口のある方向に意味をもたせているのであります。なぜ東向きに開口部があるのかは、太陽の昇る方向を示すなど、自然崇拝との関係などが指摘されていますが、明らかではありません。
この中央の砂岩で出来た台がこの寺院の特徴です。これは火葬のための台と言われています。伝説によれば、この台の上で死者を火葬し、その灰の上に死者をかたどった線をかく輪廻転生の儀式が行なわれたと言われています。そのため、プレ・ループ、つまり「 体を変える」と呼ばれるようになったわけです。つまりこのプレ・ループは当時、火葬場として使われた特別な寺院だったのですね。